[最終更新日]2012年2月21日 20時14分
昔から人々は水がある所に集い、文明を築いてきました。熊本地域でも、阿蘇山麓等でかん養された清らかな地下水が各地で湧き出し、私たちの先祖は、この泉を中心に集落をつくり暮らしていたと考えられています。
江戸時代になると、人々の生活用水は湧き水からより衛生的な井戸水に変わって行きました。
幕末にペリーが浦賀に来航(黒船来襲)すると、日本に西洋の新しい文化をもたらしましたが、合わせて、飲み水によって感染するコレラ等の恐ろしい伝染病も持ちこみました。以後、数年毎に伝染病は大流行し、数十万の人々が亡くなったのです。
そこで明治政府は、この伝染病を予防するために近代水道の整備を推進し、明治二十年に横浜市に日本で最初の水道を作ったのです。
明治二十二年に「熊本市」となった私たちの街も、九州で第二の都市(人口6万人)に発展しましたが、生活用水は井戸水のままでした。しかも、熊本市の気候は気温と湿度が高く、井戸水を感染経路とする伝染病が多発していたのです。
そこで辛島市長(第3代)は、健康的に都市をつくることが急務と考え、明治四十三年に上水道の調査費として千円(現在の約一千万円)を予算に計上しました。