[最終更新日]2024年7月2日 15時42分
大正六年五月、水道着手反対をスローガンに当選した新市議会議員たちは、当選後の初市議会で、早速水道問題を取上げました。
反対派の意図は、鉄価暴騰などを理由に、市が当局へ提出中の水道布設認可申請や国庫補助申請を取下げて、水道計画を中止させようというものでした。
依田市長は、「水道布設は緊急を要し、国や県の補助を放棄して、既に成立した布設計画の申請を取下げることは、市の将来のため、非常に残念なことである」と力説しましたが、取下げ派の意向を変えることはできず、予想通り申請取下げ建議案は可決されました。
建議案の成立は、市長を今までの幾つもの難問題以上に、絶対的な苦境に立たせることになりました。
特に水道反対派の攻撃の的となっていた野田堰問題の密約(水前寺を水源地とする計画を進めるため、市長が加勢川下流域町村と結んだもの)は、水道布設予算の成立を前提としたものであったため、申請の取下げは、密約の実行を不可能にするもので、市長はそれを絶対に阻止しなければなりませんでした。
市議会で議決した申請取下げについて、市長の「まだ決意せず」の答弁は、市長が建議案を実行する意志がないことをはっきり示したものであったため、市議会から申請取下げ運動のため、委員が上京することになりました。