[最終更新日]2024年7月2日 17時08分
熊本市の上水道整備の歴史は、明治42年(1909)の上水道建設計画案に始まります。その後、多くの関係者の御努力により大正13年(1924)11月27日、八景水谷を水源地、立田山を配水池として4,617戸へ一日平均3,141立法メートルの配水を開始しました。
この場所には創設の時、レンガ造りのポンプ室などが建てられていました。現在も当時の浅井戸は残されており、今なお良質な地下水を供給し続けています。
~八景水谷の由来~
八景水谷の歴史は古く、細川家第3代肥後藩主綱利公がこの地に茶屋を造り、ここから眺めた八つの景色…三嶽青嵐(さんがくせいらん)、金峯白雪(きんぼう はくせつ)、熊城暮靄(ゆうじょうぼあい)、壺田落雁(こでんらくがん)、浮島夜雨(うきしまよさめ)、龍山秋月(りゅうざんしゅうげつ)、亀井晩鐘(かめいばんしょう)、深林紅葉(しんりんこうよう)…を中国の瀟湖八景(しょうこはっけい)に因んで詠んだことが地名の由来となっています。
![]() |
![]() |
八景水谷水源地 上水道創設間もない頃の八景水谷水源地。写真の建物は第一送水ポンプ室(右側)と事務所兼公舎(左側)です。 |
立田山配水池 大正12年頃、建設途中の配水池。八景水谷水源地から送水された水道水を標高73mの高さから市内中心部へ供給しました。 |
わが国では、明治20年(1887)横浜市で通水されたのが近代水道の始まりです。それ以来、水道は私達の生活を支える重要なライフラインの一つとして発展を遂げてきました。
横浜市が水道の建設に着手した明治18年(1885)から100年目にあたる昭和60年(1985)、厚生省(現厚生労働省)等が近代水道100年を記念して、歴史的・技術的に、また環境・景観的に価値のある全国100ヵ所の水道施設を近代水道百選に選定しました。
熊本県内からは、唯一ここ八景水谷水源地が「近代水道百選」に選ばれました。
熊本市上水道発祥の地 石碑